2013年06月23日

①祈りの広場にて~68回目の沖縄慰霊の日に寄せて

(前の記事より続きます・・・)


この記事は、私のもう一つのブログ「まあるくいきたい」の過去記事、

ちゅら島ルーツを訪ねる旅~その⑥「祈りの広場にて」からの転載です。






沖縄ワールドを出て、さらに南へと車を走らせる~

これから向かうところが

実は、この旅で娘たちに一番見せたかったところ・・・







駐車場に車を置いて、敷地へ入って行くと、




そこは、









澄み渡った空の下に広がる芝生の広場。


まだ若い色をした見渡す限りの緑の絨毯の上に

シロツメクサの花が咲き広がっている。



遠くには、

海に向かって、たくさんの石碑が並んでいるのが見える・・・



人もまばらな広く静かな公園を

風音を聞きながら、

赤い屋根瓦の真っ白な建物を目指して歩きました。











娘たちに、じっくりと時間をかけて見て欲しかったので、

最初の展示室の入り口から自由行動ということで

集合時間を決めずに解散しました。




展示は、

 ① 沖縄戦に至るまでの沖縄の歴史・戦争がなぜ起こったのか

 ② 住民の視点から見た被災状況の映像・実物展示

 ③ 地下(ガマ)と地上(死の彷徨)において住民が受けた惨劇の
         
          壕(ガマ)の再現や、蝋人形による生々しい展示

 ④ 沖縄戦の体験の証言集と証言映像の展示

 ⑤ 戦後の収容所生活、27年間の米軍統治、

          復帰運動、平和創造を目指す沖縄の展示


という5つの部屋で構成されていました。



私が一番衝撃を受けたのは、

第2室の「住民犠牲の諸相」のところでした。



夫の母が

「敵より日本の兵隊の方が恐かった。」

と繰り返し話していた実態を目の当たりにして

改めて強い衝撃と、怒りと悲しみを覚えました。




壕の中で、子が泣くと日本兵に殺される・・・



夫の母は、「死の彷徨」の最中、

女子供が多いグループで行動していたので

他の人たちが避難している普通の「壕」には入れてもらえず、

仕方なく、空き家などの

人のいない場所を渡り歩いていたそうです。

そのことが、かえって

命を救われることにつながったのですが。



壕にいた人々の多くは、一緒に避難していた兵隊の命令で

逃げることも、投降することも許されず、

爆撃や馬乗り攻撃(壕の位置を予測して上からボーリングし、
 
 ガソリンなどを流し込んでおいてから、

  入口より火炎放射器で攻撃する)

によって犠牲になりました。


反抗的な者、投降しようとする者は虐殺され、

追い詰められた先で


「生きて虜囚の辱めを受くることなく
          
          悠久の大義に生くべし(牛島満陸軍中将)」


と、軍人の道連れに強制された集団死も多かった・・・






私も、かなり時間をかけて歩いたのですが、

娘たちは、私よりも一部屋分も二部屋分も遅れて

ひとつひとつの展示に見入って進んでいました。











最後の展示室を抜けると、

海に向かって一面ガラスの広いロビーに出ました。







ガラス越しの、やわらかい日差しを浴びながら

遠く海を見つめていると、

ここで犠牲になった人々への鎮魂の想いと、

今私たちが「当り前に生きている」ことの幸せが

改めてじわじわとこみあげてきて、

涙が出てきました。









   「沖縄戦の実相にふれるたびに 
    
    戦争というものは

    これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない

    と思うのです 


    この なまなましい体験の前では

    いかなる人でも

    戦争を肯定し美化することは できないはずです 


    戦争をおこすのは たしかに 人間です 

    しかし それ以上に


    戦争を許さない努力のできるのも

    私たち 人間 ではないでしょうか 


    戦後このかた 私たちは 

    あらゆる戦争を憎み

    平和な島を建設せねば と思いつづけてきました 


    これが 

    あまりにも大きすぎた代償を払って得た

    ゆずることのできない

    私たちの信条なのです」 



・・・・・館内に大きく掲げられていた「展示のむすびのことば」です。




戦争はこわい、戦争は悲惨、

過ちはは二度と繰り返してはいけない、

これまでどれほど繰り返し耳にしてきたことでしょう。

なのに、

私が今見た沖縄の「過去」のようなことが、

今も現実に世界中で起こり続けているのです。



「平和のための戦争」なんて絶対に無い!



残酷で生々しい現実の前に、

どんな論理も言いわけも説得力はありません。


戦争体験者が少なくなるにつれて、

その恐怖や平和への願いが風化してゆくのを感じますが、

娘たち、そしてそれ以降の子供の世代には、

戦争を「過去の歴史上の出来事」として知るのではなく、

そこで亡くなっていった人達、生き抜いてきた人達の

痛み、苦しみ、悲しみ、怒り、そして願いを

できるだけありのままに「感じる」経験をしてほしい。


そして、なぜ、そのようなことが起きたのか、

正しい知識と広い視野と人権感覚を持ち、

そこから、どうするのか

何を選択してゆくのか考え続けてほしい。









表に出て、「平和の礎」に向かいました。





まるで天国・・・




いや、・・・ほんとに天国。






こんな時代の、こんな美しいふるさとに生きたかったのだと、

ここに散ってしまったくさんの祈りが

花や、緑や、光や

風になってたたずんでいるかのようでした・・・









ここには、





沖縄戦で亡くなられた

すべての方の名が刻まれた石碑が並んでいます。





もちろん、

生まれて間もなく、

あるいは

生まれてしまっても生きてはゆけぬと、

母の腹の中にいるままで

名前すらつかぬ間に殺されてしまった赤子たちも

きっとたくさんいるのですが・・・





戦渦の中では殺し合った敵も味方も、

平和を誓う灯火の前に、並んで静かにたたずんでいました。






夫の母の言葉通り、

犠牲になった多くの人々が、実は「敵」ではなく、

「友軍」の日本人によって死に追いやられていたという事実。

赤子を殺した兵隊たちが守ろうとしたものは

いったい何だったのでしょうか?

本当に守りたかったものは・・・何だったのでしょうか?



見えない敵を空から爆撃するのも

命乞いする敵の兵士や住民を撃ち殺すのも

壕の中で泣く乳飲み子を刺し殺すのも

同じこと。


現状の中では、国際関係の均衡と自衛のためには、

軍備そのものはやむを得ないのかもしれません。

でも、「戦争」は、

敵も味方も、

兵士も住民も、関係なく殺してしまう「狂気」なのです。





「戦争は人の心の中で生まれるものであるから
  
  人の心の中に平和の砦を築かなければならない 」



私は、三十数年前高校生だった時、

呉市の生徒会連合会の運営する「高校生平和の集い」で

基調提案をしたことがあったのですが、

その時に引用した

ユネスコの憲章前文の一節が思い出されました。


この時とてもお世話になった顧問の社会科教師は、

あの、沖縄海軍司令壕で自決した

太田実海軍少将の息子さんでした。


実は、そのことを知ったのは、卒後、

先生が執筆された自伝を読んでからだったのですが。





太田実海軍少将が、自決する直前に海軍次官宛てに発信した


 「沖縄県民斯ク戦ヘリ 

     県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」


の電報はあまりにも有名ですが、

しかし、本土決戦先延ばしの捨て石に使われた沖縄県民は、

「高配賜る」どころか、

その後も米軍の占領下に切り捨てられ、

復帰後33年経った今もなお、

基地問題に翻弄され痛めつけられ続けていることを、

忘れてはいけないと思います。






娘たちよ、

忘れないでほしい。

ここで見たこと、

感じたこと・・・








そして必ず、

おまえたちの次の世代へと、つないでいくんだよ。








(次へ続く・・・)



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この記事へのコメント
まあるさま

 一日の終わりに、いつも楽しみにブログを拝見しています。

 そうですか、まあるさんのご主人様は沖縄にルーツのある方だったのですね。

 沖縄で今起きている真実や現実が、内地では報道されていないことが多すぎるんですよね。
 それは住んでみないと分かりようのないことで、これだけ“情報化社会”になりながらも、誰かの不都合になることは伝えられていないことを、現地で痛いほど知りました。
 だから多くの本土に住む私たちは、本当のことを知らされないまま、大事なことに答えをだしたりしているのでしょう。

こんな現状を考えたとき、もっとも罪深いものは何なのかと心を探っていくと、『自分』だという声が聞こえるのです。


真実を知らせることができないマスコミのせいじゃなく、
地位協定に着手できない政府のせいでもなく、
ましてや米軍基地があるために生活ができている、沖縄の一部の人々のせいでもなく、
『自分』のなかにある無関心とあきらめが、変化を起こせない原因になっているのではないのかなと。


3年半あまり住んだあの島は、私にとっては決して“癒しの島”ではありませんでした。
Posted by あおい at 2013年06月23日 23:17
♪あおいさま、

いつもブログをご覧くださって、ありがとうございます。
私もあおいさまのブログ、楽しみに拝見していますよ。

なるほど・・・原発の問題でも、動物愛護の問題でも、人権に関わる問題でも、きっと同じようなことが言えるのでしょうね。

”これだけ“情報化社会”になりながらも、誰かの不都合になることは伝えられていない”・・・ほんとそうですね。
情報化社会だからこそ、逆に情報に操作されやすくもなってしまっているのでしょうし。マスコミのレベルでも、個人的な情報のやり取りのレベルでも。

真実を知り、正しい選択をするためには、やはり積極的な関心を持って、現地現場の人の声・・・特に、虐げられた立場にある人たちの声に耳を傾けて行くことが大事なのでしょうね。
平和のための戦争がありえないように、人の”犠牲”の上に成り立つ幸せもないはずですから・・・
Posted by まあるまある at 2013年06月24日 21:08
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